感情をペットのように飼い馴らす
当時35歳 思考自分の心の中にある「感情」というものは、自分というものの一部であるにも関わらず、なかなか上手くコントロール出来ずに振り回されたりする。
振り回されるのに疲れると感情を抑圧するようになり、一定の平穏と引き換えに、世界を平坦にしか感じられなくなったりもする。
なにかもっと上手い、感情との向き合い方は無いものかと長年考えていたが、最近は、感情というものはペットのようなものだと思うことにしている。
犬や猫のようなペットを飼うのを想像してもらいたい。
最初は分かり合えないことだらけだ。
言葉が通じないのだから仕方がない。だが、じっくり観察していれば、少しずつ、行動の予想はつくようになる。
うまく関係を築いていけば、ある程度は意思の疎通も図れる。ペットに伝えたいことも、ペットが自分に伝えようとしていることも、わかるようになってくる。
さて、自分の心の中に、ペットを1匹飼っている、と考えてみよう。
わがままなペット
ペットの力が強く、いいなりで、いつも振り回されるタイプ。
気まぐれなペットは、飼い主の言うことなどまるで聞かないし、予想外の行動も多い。
引き換えに、人間の理性からは出てこないインスピレーションを与えてくれることもある。
抑圧されたペット
なかば恫喝的にペットを躾け、すっかりペットが萎縮してしまっているタイプ。
予想外の事は起きにくいが、いささかつまらない日々を送る。
稀にペットが反抗すると、なだめる方法がわからずに途方にくれる。
私のペット
両極端な2パターンを先に紹介したが、私としてはそのいいとこ取りを狙っていきたい。
犬の散歩をするときにはロープを繋ぐが、長さを自在に変えられるロープだと便利だ。
例えば、他に人のいない広々した公園ではロープを伸ばし、他人とすれ違うときや危険な場所を通るときにはロープを縮めるだろう。
感情も同じで、ロープを伸ばして良い場面と、縮めるべき場面がある。
ずっと同じスタンスを保つのではなく、両方を使い分けるようにするわけだ。
場面を見極める術を習得すれば、例え感情に振り回されても大きなトラブルに繋がらずにすむ。
振り回されること自体は、決して悪いことではない。
むしろ、思いっきり振り回される機会を時おり設けた方が長期的には良い。
観察を怠らず、変化に敏感であれば、自分の感情のコンディションを把握することが出来、ロープを伸ばしておける場面も増えていく。
たまには飼い主の言うことを聞かないことがあるかもしれないが、嫌わずに愛情を持ち続けることも大事だ。
一生付き合うペットだからね。
そんな風に捉えて、自分の感情と良い関係を築いていくように心がけている。