同級生の訃報
当時33歳 日記僕の結婚式で新婦の髪を切ってくれた関佳典が、3月29日未明に急逝した。
物凄いイケメンで、シルバーのお洒落なスーツを着こなしていた姿を覚えている人も多いと思う。
彼とは小学校からの縁だ。
彼はスポーツが得意でとても目立っていた。僕は僕で、彼とは違うタイプだけどもそれなりに目立っていた。だから、お互いのことは知っていたけど、直接話す機会はあまりなく、奇妙な距離感だった。
中学校に入って、同じクラスになった。最初のうちぎくしゃくしたような気もするが、次第に仲良くなった。市が主催する沖縄との学生交流イベントにも一緒に参加した。
彼はとてもサッカーが上手かった。子供ながらにそれはよく覚えている。単に運動神経がいいだけでなく、彼は切れるプレイをした。彼のサッカーを見ながら、頭いいなあ、と思ったものだ。
「脇の下から後ろを見るといいよ」これは彼から教えてもらった。実際やってみると、首を回して後ろを振り返るよりはるかに速く、かなりの範囲の後方を確認できた。僕の弱点を見ぬいた、的確なアドバイスだった。僕はこの技を、今でも時々日常生活で利用している。
彼はどちらかというとちょいワルで、先生方からはおそらく不良グループの一人と認識されていたと思う。(不良といったって、カワイイものだけど。)
頭はいい筈なのに、成績はあまり良くはなかった。勉強がよほど嫌いだったのだろうと思う。
高校に入ると、彼とは疎遠になってしまった。
再び連絡を取りあうようになったのは Facebook のお陰だ。
地元のお祭で再会して、その後何人かつるんで彼の車に乗り、深夜にスポッチャという簡易スポーツ施設に行き、バスケやら卓球やら、様々な球技で朝まで遊んだ。別の日には朝までカラオケをした。彼はSNSDの曲を歌ったりした。
彼を中心に、中学時代の仲間達が集まってバーベキューをしたりした。
彼の子供達はよく一緒についてきて、みんなと一緒に遊んだ。
彼は結婚が早く、上の子はもう小学校高学年になる。
下は少し年の離れた女の子で、休みの日にはお父さんと二人、表参道で可愛いデートをしたりもしていたようだ。
家事は殆ど奥様任せ、と言っていたけど、ごくたまに写真がアップされる彼の手料理は、生来の器用さと妥協しない美的感覚によって、驚くほど整っていた。
彼は美容師だった。僕はそれまで髪型には無頓着で、いつも1000円や2000円の安いヘアサロンで済ませていたのだが、折角の機会だし、彼のセンスなら間違いは無いだろうと、切ってもらった。案の定、家族にも友人たちにも好評だった。
人生初のパーマにも挑戦した。仕上がりはおまかせで、と言ったら、
「大久保はさあ、どうせやるなら、すげーウザいくらいクリクリのパーマを一回やってみたいね」と彼が言うので、二つ返事で承諾した。
僕の母はこの時の髪型を大層気に入ったようで、「子供の頃からこの髪型だったような気がする」とまで言った。
以来ずっと、彼に切ってもらっていた。
僕はパーマに詳しく無いのでよく分からなかったのだけど、何人かの友人に「パーマずいぶん持ちますね」と言われたことがある。「いいのを使ってるからね」と彼は言っていた。施術も的確だったのだろうと思う。
「つむじっていうのは、髪の毛を寝かせるためのシステムなんだよね」これも彼に教えてもらった。
昨年秋の僕の結婚式では、式場側の担当者を外して、彼に当日のヘア担当をお願いした。新郎新婦はもちろん親族のヘアメイクまで手伝ってもらった。やり慣れているようで、仕事は完璧だった。新婦の思い付きで「お色直しでセミロングからボブにカットしたい」という希望も叶えてもらった。他所の担当者じゃ出来なかっただろうから、本当に嬉しかった。
会場の後片付けが全部済むまで、彼は一緒にいて手伝ってくれた。
彼は野心家ではないが、自分の理想を追い求めることには熱心だった。
「負けず嫌い」を自称していたが、他人に勝つことよりも自分自身に勝つことをいつも目指していたように思う。
決してがつがつと先を急ぐようには見えないのだけど、決断は早く、行動は大胆で、散々遊びつつも道を踏み外すことは無かった。
かっこいいよね。
僕はそんな彼の生き方を、ずっと尊敬している。