独創の星モデル

当時26歳 思考

世界中のアーティストが、それぞれ10作品を作ったとしよう。これらが強い引力によって結び付けられ、宇宙空間で1つの星になって浮いているのをイメージしてほしい。
ピアノやら石像やらが、ちょうどカタマリダマシイのようにくっついた星だ。
作品の材料は「独創」であり、創造力の強いアーティストほど大きな作品を作る、としよう。
星には重心が存在する。重心とは、平均値のことだ。重心から離れるほど、独創的である、としよう。

自分の足場をこのあたりと定めて作品を積み上げてゆくと、ゆるやかな丘になる。
或いは空に1つの目印を決めて、ひたすらその一点へ向けて作品を慎重に積み上げてゆけば、細く高い塔になる。
細すぎる塔はまもなく高さの限界を迎える。土台を固めなおして更なる高みを目指しても良いし、置き去りにして別の土地に別の塔を建てても良い。あまり離さずに2つの塔を建てることが出来たなら、上空に連絡通路を建設可能かもしれない。

高いところへ登れば視界がひらけ、近隣の高い塔を発見出来るだろう。
しかし、どんなに高く登っても星の反対側までは視界に入らない。

充分に近いか、充分に差がない限り、2地点の高さを比較することは容易ではない。
アーティストは皆、それぞれ自分の巻尺を持っているが、自分自身が登ってみないことには高さを計ることが出来ない。
もちろん、他人の巻尺の数値はあてにならない。

人間は生まれた瞬間、この星のほぼ重心に位置する。
しばらくは他人の作り上げた構造物を上へ上へとよじ登る。
ある人は未開拓の平地をみつけて、そこに自分の作品で丘を作る。これが「独創的」だ。
ある人は先人の建てた高い塔をよじ登って、そのてっぺんに自分の作品をちょこんと乗せる。これも「独創的」だ。

50mの塔のてっぺんに10cmの作品を積み上げたりする。
小さな作品であっても、頂上に積み上げることが出来たならそれは快挙だ。
なにしろ、その高さまで登ってきたことが既に快挙だ。
同じ塔のてっぺん付近にいる一握りの同志たちから賞賛の拍手を得るだろう。
少し離れたところにいる人々からは、10cmの作品は小さすぎて見えないかもしれない。

あなたが実際に芸術家の渦中にいるなら、芸術の領域を星の表面すなわち二次元でモデル化したことに不満を示すかもしれないし、高さという一次元の単純化した評価軸ですべてを計ろうとすることに抗議するかもしれない。
あなたが数学者なら、言うまでもなくこのモデルを無限次元空間で一般化してくれるだろうから、弁解は不要なのだが。