フジヤマ
当時23歳 修士課程1年生 旅行富士山くらいは登っとかないと。以前からそう思ってはいたのであるが。昨年登って、今年もまた登ります、という話が運良く友達から転がり込んできたので、ここぞとばかりに便乗。計画では10人だったパーティ(仮装とかクラッカーとかしないほうのパーティ)が、当日蓋を開けてみると6人に減っていた。登る前から脱落とは、情けない奴め。リーダー格のメンバーが欠員ということで多少不安があったが、6人中2人は昨年登頂した、ということで、決行。
昨日。3人で朝10時に新宿から高速バスに乗り、12時から河口湖を観光。最近ちょっぴり気になっている中原淳一の美術館を見て、あとはぶらぶらと湖畔を歩く。16時に残り3人と合流して、バスで五合目へ。
一人の登山客が、携帯電話に向かって「今日天気悪いから、登山中止になってさぁ。。」と話しているのを耳にし、一抹の不安がよぎる。それは、日の出が見られないということだろうか。山頂まで行けば、雲の上に出られるのでは?という、根拠のない希望を信じ、18時。登山門をくぐる。
のんびりのんびり登っていった。流星群に火星大接近、と、天空のイベントは大サービスのはずだったのだが、重たい雲の緞帳はいつまでも開かなかった。登るほどに広がる夜景と、眼下で円く破裂する花火は、それなりに気分を盛り上げてくれた。
八合目。深夜12時。ぱらぱらと雨が降ってきた。
本八合目(実質的に九合目のこと)。霧状の雨は、上からとも横からともなく空間を埋め、雨具の中の衣類を湿らせてきた。風雨が強くなり、気温はおそらく10度を切っていただろう。登っているうちは気にならないが、足を止めると体が震えそうだった。
風雨は強くなり、気温もますます下がる。座り込んでじっとしていたら心臓を止められそうだ。風邪をひくだろうか。リュックは中までずぶぬれで、携帯電話とデジカメとClieには過酷な環境であったが、それもまあ仕方ない、などとあきらめるほど、思考回路は異常だった。(壊れたら総額6万円です。ちょいとビニル袋に詰めれば済むものを。)
奥歯をがたがた言わせながら、登頂。午前2時30分。万歳、とか、やったーとか、そんな余裕はなく。頂上に山小屋があるのだが、朝4時までは開かない、とのことだった。絶望的だ。このコンディションで、あと90分、外にいろと?全身震えていて、とにかくどこかで温まりたかった。
天候を配慮してか、3時に山小屋の一つが営業を開始した。外よりははるかに暖かかったとはいえ、衣類が乾くには程遠く。束の間の効果と知りながらも「みそラーメン」800円を注文した。食事中の10分間だけ震えが止まったが、食べ終わるとまた震えた。覚醒時間が20時間を越え、体は睡眠を欲していたが、とても眠れそうになかった。
ポスターのキャッチコピー「ゾクゾク富士山」妙に納得。奥歯がガタガタ鳴るほどのゾクゾク感だ。
朝7時。日も登り、多少は気温が上がり始めただろうか。これからさらに風雨が酷くなるらしいと言う情報もあり、下山をすることに。体を動かしている間が一番楽だった。ああ、寒くないとはなんて素晴らしいんだ!
10時に五合目。お店の中も、バスの中も、大して暖かくはなかった。河口湖へ降りて、高速バスで新宿へ。冷房が恨めしかった。今ほど、真夏の蒸し暑い東京が恋しい瞬間はなかっただろうに、僕らを迎えたのは記録的低気温の新宿だった。
我が家のお風呂のなんと気持ちよいこと!体調も崩れることなく。終わってみれば、楽しかった!って。それだけです。精密機器の破損もなく。人生に幾度とない冒険でしたとさ。